歴史の教科書で一度は目にしたことのある「五箇条の御誓文」。 明治維新という、日本がかつて経験したことのない激動の時代——まさに国家としての「創業期」に掲げられた基本方針です。
その第1条にある「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」という言葉。 これは単なる民主主義の夜明けを告げるスローガンではなく、経験を積み、自分の判断に自信を持ち始めた私たち50代にとって、極めて実用的な「自戒の言葉」であると感じます。
年齢を重ねると、良くも悪くも自分なりの「正解」が出来上がってしまいます。しかし、それは時として「独断」という危うさを孕みます。 今日は、明治の先人たちが荒波の中で打ち込んだこの「座標」を、現代の大人の処世訓として読み解いてみたいと思います。
混沌の海に打たれた「最初の杭」
五箇条の御誓文が公布されたのは、慶応4年(1868年)3月14日。 当時の状況を「天気図」で例えるなら、まさに大型台風の直撃中でした。鳥羽・伏見の戦いは終わったものの、旧幕府軍との戊辰戦争は続いており、国内の諸藩はどちらにつくべきか揺れ動いていました。
新政府軍にとって急務だったのは、バラバラになりかけた国内の意思を統一し、さらには虎視眈々と日本を狙う諸外国に対して「これからの日本はこうあるべきだ」という明確な旗印を示すことでした。
この時、京都御所の紫宸殿で行われた儀式は、天皇が神々に誓う形式をとりました。これは、特定の誰か(例えば将軍や有力大名)に対する約束ではなく、超越的な存在への誓いとすることで、誰もが納得せざるを得ない「正当性」を担保しようとした高度な政治判断とも言えます。
不安と混乱が渦巻く混沌の海に、国家としての最初の「杭」を打つ。それが五箇条の御誓文の役割でした。
「万機公論」ができるまでの試行錯誤
私が組織の人間として特に興味深く感じるのは、この誓文が出来上がるまでの「起草・修正」のプロセスです。最初から完成された言葉だったわけではありません。
- 由利公正(福井藩)の素案 当初は「庶民志ヲ遂ゲ(庶民が志を遂げられるように)」といった、経済重視の実務的な内容が含まれていました。彼は財政通でしたから、国を富ませる視点が強かったのです。第1条にあたる部分は「万機公論」ですが、対象は「貢士(各藩の代表者)」を想定していました。
- 福岡孝弟(土佐藩)の修正 これを土佐藩の福岡孝弟が修正します。彼は「列侯会議ヲ興シ」とし、大名たちによる合議制を重視しました。これは当時の「公議政体論」を反映したもので、やや特権階級寄りの修正と言えます。
- 木戸孝允(長州藩)の最終案 最後に長州の木戸孝允が、これを**「広ク会議ヲ興シ」**と書き直しました。「列侯(大名)」に限定せず、より広い範囲(あえて対象を曖昧にすることで、将来的な民衆参加の余地も残したとも言われます)での議論を是とする表現に変えたのです。
組織で稟議書を作成する方なら共感いただけると思いますが、一言一句の修正に、当時の彼らの「誰を巻き込み、どこへ向かおうとしているか」という強烈な意図と、各方面への配慮という名の「調整」が見て取れます。
結果として「広ク会議ヲ興シ」となったことで、この条文は特定の身分だけでなく、普遍的な「合議の精神」として歴史に残ることになりました。独裁を否定し、多くの知恵を集めることこそが、未曾有の危機を乗り越える最善策だと、彼らは本能的に悟っていたのかもしれません。
経験という名の「独断」に風穴を空ける
さて、時計の針を現代に進めます。 私たち50代は、ある意味で人生のベテランです。仕事でも家庭運営でも、過去の経験則という「データ」が蓄積されています。 「こうすれば上手くいく」「これは失敗する」という勘が働く。これは素晴らしいことですが、同時に「自分の経験則こそが正解である」という強固なバイアスにもなり得ます。
組織において、役職が上がれば周囲から意見されることは減ります。プライベートでも、自分のスタイルが確立されればされるほど、他者の意見は「ノイズ」として処理しがちになります。 誰にも相談せず、自分の脳内だけで完結させる判断。これこそが、現代における「独断」の正体です。
しかし、時代は常に変化しています。私たちの経験則は、昭和や平成の環境で培われた「古い海図」かもしれません。 私たち個人の生活における「広ク会議ヲ興シ」とは、実際に人を集めて会議をすることではありません。意識的に「自分の常識の外にある視点」を取りに行く姿勢を持つことです。
- あえて若手に尋ねる: 新しいツールや価値観について、知ったかぶりをせず謙虚に教えを乞う。
- 専門家の意見を仰ぐ: 資産運用や健康管理において、自己流を捨ててプロの診断を受ける。
- 異分野の本を読む: 自分の専門外の知識に触れ、脳内の空気を入れ替える。
「万機公論ニ決スベシ」とは、裏を返せば「一人の人間の知恵など、たかが知れている」という謙虚さの表明でもあります。 自分一人の脳内会議で完結させず、外部の風を「換気」のように取り入れる。それが、判断の硬直化を防ぎ、老害化という座礁リスクを回避する唯一の方法です。
明治の先人たちが、国の存亡をかけた局面で「独断」を排し「公論」を選んだように、私たちも人生後半戦という未知の航海において、自分以外の羅針盤を持つ賢明さを持ちたいものです。

【免責事項】 本記事は歴史的事実の解釈および個人的な見解を述べたものであり、特定の政治的信条を支持・推奨するものではありません。また、記事内の歴史的記述については諸説ある場合があります。

